「短歌研究」六月号特集「100年前の啄木を検証する」

「短歌研究」6月号の特集「100年前の啄木を検証する」を面白く読んだ。
石川啄木については、今でも、だれでも、何かしら思うところがあり、思うことができるように改めて思った。

特に共感するところがあったのは、嵯峨直樹さんの「時代はかわったのかー外部者啄木の視点」、とりわけ「4、上京と文学勝負」の部分だ。

(「かにかくに渋民村は恋しかり/おもひでの山/おもひでの川」の歌について)
まさに看板に描く為に出来たような歌で、和菓子のパンフレットのコピーのような臭みを嫌う人は嫌うだろうが、何かを
彼が仕掛けようとしているのが分かる気がして私はわくわくする。

(「曠野より帰るごとくに/帰り来ぬ/東京の夜をひとりあゆみて」の歌について)
負けていることを、今風に言えば「ネタ」にして逆転を図ろうとしている。だから「曠野」といった大仰な表現に「力み」が出て真実味を削いでしまう。描いている事が事実でも、描いている姿が「純」さに欠けたり、真摯さにどこか欠けるのである。結果として、真実過ぎない為に読者に過度の精神的負担をかけない。ある種の邪さが啄木を無視できない存在として人を惹きつけるのである。

私も、啄木の歌には、自分の喜怒哀楽を少し離れたところから観察しているような冷静さ、客観性があるように思う。それが少し芝居がかった印象につながっているのかもしれない。なぜそのような印象があるのか。

○具体的な事物を提示しながら、なぜそのような心情に自分がなったのかという経緯については、案外説明がない。
「渋民村は恋しかり」の歌が含まれる『一握の砂』の中の一連も、突然「ふるさとの訛りなつかし」の歌からはじまっていて、母と故郷について話したり、延々と友人の事を思い出したりするのだけれど、東京での暮らしに忙殺されるなかで何をきっかけに故郷の事を思いだしたのかというきっかけについては触れられない。
「曠野より帰るごとくに」と、憔悴しきった感情を打ち明けても、実際何があったのかは語られない。
渋民村や山・川、曠野、東京といったキーワードで読み手にあるイメージを呼び起こさせながらも、どこか私たちにわからない部分が残る。そこを読み手自身の経験をもとに憶測しながら読んでいくことになるので、結果的に読み手それぞれがそれぞれに共感しながら受け止められるのではないか。短歌とは少なからずそういうものであるけれど、啄木の歌については、読み手の思い入れがとりわけ増幅される形で作られているように思う。

○一連の中で情緒が一定していない。何かを憎んだり反省する歌が出てきても、すぐに割と明るい歌が現れる。
「曠野より」の歌も、その隣には
  銀行の窓の下なる/敷石の霜にこぼれし/青インクかな
  ちょんちょんと/とある小籔に頬白の遊ぶを眺む/雪の野の路
  十月の朝の空気に/あたらしく/息吸ひそめし赤坊のあり
夜の散歩で眺めた、孤独な光景も、途中で突然頬白の遊ぶ光景や赤ん坊の生まれる話に転じていく。明るい話とさみしい話が交互に現れる結果、さみしい話の深度が十分深まる前に、さみしい話から引きはなされる。だから「死にたい」と啄木が歌っても、それほど本気なわけではないような気がする(してしまう)。
一方で故郷の友をひとりひとり思い出すような一連や、恋心を歌う一連などは畳み掛けるように同じ色彩の歌が続く。ネガティブな話はそれに偏りすぎないように、人や故郷を想う歌はどっぷりと浸って、という啄木の流儀のようなものがあって、それが読み手の心の動きをコントロールしているような、冷静な印象を与えるのではないかと思う。

啄木といえば「居場所がない」「病魔に襲われた孤独」「自己哀惜」といったキーワードで語りがちで、実際そういう側面があるのだけれど、皆が繰り返し言うほど根暗かといえば、割と楽しそうに暮らしている歌が案外多いように思う。旧友を歌う歌も、自分が故郷に溶け込めなかったゆえの屈折した思いもあるかもしれないけれど、、純粋な友人の近況への関心、案じる心、友人の苦境を語ることでの社会批判のような感情もあって、だからこそあそこまで次々と歌が湧き出てきたのように感じる。

本当に孤独な人生を自ら選んだゆえの気遣いなのかもしれないけれど、そういった啄木の作為を含めて考えるにしても、故郷を追われたから友を憎むはずだとか、早死にしたから不幸せだったはずだとか、そういうイメージでとらえすぎない方がいいように思う。

☆東京生まれの私には、「上京」の持つ意味がわからない。大人の世界を眺めながら、何十年かけて、少しずつ自分に同化させていく。そういう場所だ。でもよほどの事情じゃないかぎり東京の外に引っ越すことも考えられないから、やはり東京じゃなきゃだめだという自負があるんだと思う。