角川「短歌」座談会についてのメモ(断片)

角川「短歌」2012年3月号の座談会「3・11以後、歌人は何を考えてきたか」については、私が少し垣間見ているだけでも、その後さまざまな場所で言及されていて、インパクトの大きな記事だったことがわかる。

忘れないうちに、拙いメモをいくつか。

○世代Ⅰの人たちの見解の一致ぶりが印象的だった(世代Ⅱを読んだあとの感想として)。終始共感しあう空気で、新聞歌壇の読み手たちに嫉妬もせず、むしろ彼らを評価し、これからどう歌っていくべきかを提言しあう。人生に慣れるとはこういうことなんだろうか。
○世代Ⅱの人たちの話からは、それぞれがどう苦しんできたかがひしひしと伝わってきて、読んでいてとても切なかった。石川美南さんが最後に「信仰告白に終わった」と言っていたが、やはりそれぞれがそれぞれの思うようにするしかないのだなと深くわかった。
○世代Ⅰの人たちの話で印象深かったのは、戦争を体験している世代の人たちの中で、戦争での体験(おもに出来なかったことに関する記憶)と今回の出来事がしばしばつながって意識されているという事実だ。それは簡単に言えば反省なのだと思う。この感覚は、私たちの世代にとっては正直頭でしかわからないもので、それはとても怖いことだ。
○世代Ⅱの座談会で、斉藤斎藤さんの「証言、私」(短歌研究7月号)の連作が話題になった。私は、この連作はなければならないと思う。田中濯さんは「被災した人に見せられますか」と真っ向から否定する立場だったが、朝日新聞に掲載された彼自身の連作「3.11、ガソリン、街を壊すものたち」は、私は、斉藤斎藤さんの連作と、方向性としてかなり近いものを感じた。この両者のどこが違うのか、いろいろな意見が聞いてみたい。私自身は、正反対の者同士が対立しているというよりは、危険な手法に挑む者同士が、皮膚感覚としか言いようのない「本能」で可否の水際を探っているような印象を持っている。
○そうじゃなくて、現在進行形の原発詠には果敢さが許されて、すでに終わった津波に関する挽歌は言葉を慎むべきだというのなら、それは違うと思う。
○私自身がどういう立場をとるのかという点については、原発自体はただちに減らすべきだと思う。が、有能な技師は今こそ必要ということだ。原発を滅ぼすというのなら、最後まで寄り添える技師が必要だ。滅ぼさぬのなら、なおさら必要だ。

とりあえずのメモ。また何か思い出したら付け足します。