変化

メモです。

自分の中で規範が定まらないことがいろいろあって戸惑う。近頃とりわけそう思うのは、「変化」について。

例えばおなじ小説とか詩歌とかを読んでいても、明治期の人、大正期の人については、一生涯のなかでの作風の「変化」を好ましく受け止めて読む。最近読んだ中では、山川登美子や若山牧水について、初期の歌のもつ情熱が少しずつ落ち着いていく「変化」を肯定的に受け止めながら読んだ。けれど同じような「変化」を同時代の書き手に感じるとき、私は少しとまどいながらその「変化」を受け止めている気がする。

一人の書き手の「変化」もそうだし、さらに、流行というレベルでの「変化」についても。

一人の書き手の「変化」にとまどいを感じてしまうことについては、それは私のわがままだ、と反省する。一読した次の日や次の次の日に、時間の経過を思いながら、印象がゆっくり変わっていくことも多い(逆にそれが普通かもしれない)。
けれど書店の店頭にならぶ品揃えが「変化」することについては、まだどう受け止めたらいいのかわからない自分がいる。好きだった雑誌がなくなること。お金を払って読みたい好きな作家の作品を、店頭で見かけなくなること(ここでいう「お金を払う」とは、何かの比喩ではなく本当の意味での「お金を払う」。ネット上でただで読むのではなく、ということ)。
でも書き手にとっては、そういう「変化」が起きないことは幸せじゃないのかもしれなくて、だからこの話は、これでおわり。

世の中の「変化」の力学について、初歩的なことを知りたいと感じる。